cello


Gramophoneのブログで興味深い記事を見つけた。Corinne Morrisという人の“Why doesn’t the classical music industry take injury seriously?”(なぜクラシック音楽業界は故障を真剣に扱わないのか?)というもの。肩の故障でチェロ奏者としてのキャリアを一度は諦めたものの、良い医療に出会って演奏活動を再開した方のようだ。元の記事のページはこちら。僕もここで少し彼女の主張を紹介したいと思う。


クラシック音楽業界のキャリアは、普通の企業のキャリアとは相当異なっている。普通の企業で言えば、40代が自身のキャリアの最高点であったり、休職・転職もそう不自然なことではないが、音楽産業のキャリア曲線は全くの別物。期待されるのは一直線のキャリアで、例えば10才より前からスタートし、失敗や休みや変化なんて当然ありえない、という風に考える人もいる。特にクラシック音楽界では「神童」が崇められ、若くて有望なアーティストたちは経済的にも専門的にも支援され、機会を得る。これはもちろん素晴らしいことだが、「若ければ若い方が良い」という慣習的で狭い時間の枠組みになんとか間に合わせている人がたくさんいるだけで、そういう慣習が全ての人の人格に合っている訳ではない。慣習的でないキャリアの道を辿ってきた人たちについてはどうだろうか? 30才から演奏家のキャリアへ転向するのは本当に遅過ぎるのだろうか?


Corinne Morris、彼女も若い頃に音楽を始めた者の一人だ。彼女はホームスクールだったのでチェロに集中できたし、16才にはロンドンの王立音楽大学(Royal College of Music)からディプロマを授与された。肩の故障で演奏を止めるまでは、彼女は音楽の世界のいわゆる王道を歩んでいたのだ。彼女は外科手術を拒否したため、彼女自身、音楽のキャリアはもう終わったと思ったそうだ。7年後、彼女が音楽のトレーニングを再開していた時期、スポーツ医学の良い治療法と出会ったことで肩の回復が進み、再び音楽を継続する希望が見えた。この「故障からキャリアへの再出発」という経験を通して、彼女は音楽産業におけるあるギャップと汚点に気付き始めたという。


まず、この業界で「故障」というものがどれほど決定的なものかということ。音楽家は、いわばアスリートとしての生涯をただ自身の身体だけに頼っている。そしてまだ音楽産業は、支援という点や適切な治療の提供という点で、スポーツ医学の分野からはるかに遅れを取っている。彼女がチェロを弾けなくなってしまったその故障というのは、音楽家たちの間ではあまり一般的ではない故障だが、フリーの音楽家たちの激しいスケジュールは、本当にアスリートのように身体を繰り返し繰り返し緊張状態にして、いつもほとんど故障寸前の状態に身体をさらしているのだ。


故障したアスリートは、治療をし、そして回復したあかつきには、その競技のトップに再び上ることを期待されているというのに、過去に故障をした音楽家は、しばしば身体的にどうも信頼されていないように思われたり、業界のトップの人たちに「この演奏家は一度やっちゃってるからなあ……」というような疑いが残ったりする。スポーツの世界では故障は受け入れられ、治療され、支援されるというのに、なぜ音楽の世界では、故障はこれほどまでに恥ずべきことで、受け入れ難いことなのだろうか?


彼女が演奏を再開し、キャリアを再スタートさせようと決めたとき、彼女はまた別のギャップに気づいたそうだ。それは、「演奏活動のキャリア再構築へのサポートの欠如」である。彼女の場合は身体の故障でキャリアが止まったが、それは他の人々にとってはあくまで「彼女のせい」である。自己責任の世の中は冷たいものだ。理由は何であれ、非慣習的な、いわゆる王道“以外”のキャリアの道についても、音楽の仕事がもう少しオープンにならないものか、と彼女は願っているようだ。クラシック音楽業界も混乱を極めているが、より多くの才能を発掘するための新しい方法を探らなければならない時代だろう。


これは音楽界だけの問題ではなく、他のアート界隈でも同じである。30才を越えて、自分の好きな芸術領域である程度勢いを得ようとするのは難しい。残されている術は、経済的にも芸術的にも何のサポートなしで、なんとか工夫してキャリア構築の方法を学び、実行していくことだけだ。英国には、王室が主催する若者の失業者支援であるPrince’s Trustというチャリティー機構がある。彼女の願いは、このような機構が、あらゆる年代の恵まれない芸術家を支援すること、そして30才以上の人にも音楽の仕事が増えることである。なるほど、実現したら素晴らしいことだろう。

Selecting the right direction


スポーツは誰にでも結果がわかる。それは客観的な結果だ。たとえ故障をしても、オリンピックでメダルを取ったり、ホームラン王や得点王になったり、客観的な結果が出ればすぐに評価される。しかし、音楽の良し悪しの判断は主観的だ。良いと思う人もいれば悪いと思う人もいる。一番客観的な評価であるコンクールだって、審査員の人格にかかっている。誰が一番大きな音を出せるかとか、一番速く弾けるかで勝敗が決まるのではないのだから。そして、そういった誰かの主観的な判断がキャリアに影響するのもまた必至だ。もしかするとあの奏者は「故障」がずっと響いているのではないか、あの奏者の「故障」は奏者の天性や精神を傷つけ、一度“傷物”になった天性はもう直らないのではないか、そんな考えを抱く人もいるだろう。それが噂になり、記事になり、キャリアに響く。実際に故障がどのくらい後々まで引っ張るのかは知らないし、ケースバイケースだけれど、なんだか非科学的な話ではないだろうか。往年の名投手、村田兆治は、肘の故障に悩んだが、渡米してスポーツ医学の権威から治療を受け回復し、復帰後は開幕11連勝の快挙を成し遂げた。サッカー元ブラジル代表のロナウドも、2000年に右膝十字靭帯を完全に断裂したが、リハビリの末2002年日韓W杯で得点王となり、ブラジルを優勝に導いた。故障から復活したスポーツ選手を挙げ出したらきりがない。まあ「精神の世界」で活動するクラシック音楽に、科学などを求めるのが間違いないなのかもしれない。


シューマンが精神を病んだのは誰もが知っているが、それでシューマンの作品を卑下する人は少ないと思うし、好き嫌いはあるにしても、むしろそれは彼の作品の特徴になっていると言える。演奏家だって、病がきっかけで、身体的にも精神的にも、音楽に特徴的な(良し悪しではない)変化があるはずだし、 Corinne Morris自身も、トラウマのような出来事を経験して、愛するチェロを売るほどに悩み苦しみ、 一通り経験した結果として音楽が深まったと語っている。そうした音楽家たちがあまりに不遇なのも嘆かわしいことだと思う。 いずれにしても、王道のキャリアばかりを重視していては、クラシック音楽の未来は明るくないだろう。

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