チャイコフスキー:交響曲第4-6番 チャイコフスキー:交響曲第4-6番
ムラヴィンスキー(エフゲニ),チャイコフスキー,レニングラード管弦楽団

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チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」


チャイコフスキーの交響曲の中で最も傑作なのは何番か。
様々な意見はあるだろうが、チャイコフスキー自身はこの第6番悲愴が最も良く出来た交響曲だと思っていたようである。
作曲者自身がいい出来栄えだと思っていたものほど、周囲からは大した評価もされないで、逆にどうってことないなあなんて思っているものがとんでもないほど高評価されるというのは芸術の世界ではよくあること。村上春樹の『ノルウェイの森』や、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」のような有名な作品は後者に当たる。
このチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、現代でもチャイコフスキーの交響曲の最高傑作と言われることが多い。僕もそう思う。最も好きなのは5番かなあと思うけれど、とかく4番や5番のような(4, 5, 6番は三大交響曲と呼ばれる)明るい曲はすぐ精神性の欠如などと批判されてしまう。
別にそんなことはないと思うが、そうやって評価されがちなのは事実であり、そういう意味で「悲愴」は自他共にその完成度については有無を言わさない感がある。
実際に「悲愴」は、精神の深い深いところから湧いてきたものが表現されている音楽だと思う。「人生交響曲」と呼ばれる交響曲第7番(未完)の作曲を途中で止めて、「悲愴」の作曲に取り掛かったのだが、それは変ホ長調の交響曲では表現できなかった人生の「深いもの」を、ロ短調の交響曲で表現しようという試みだった。
そうしたこの曲の持つ内省的な音楽性と、3楽章が盛り上がり4楽章が静かであるという一見しただけでわかる構成の特徴と、まさに音楽の内部と表面の両方から評価されやすい、良いバランスを保った音楽だろう。
この曲についてひとつ注意したいのは、副題「悲愴」についてである。
原題はロシア語で“патетическая”であり、意味は熱狂的・感情的・爆発的といったところ。よく用いられるフランス語の“Symphonie Pathétique”とは意味合いが違う。
チャイコフスキーはこのフランス語の題も用いたらしいが、わかっていて敢えて使ったのか、そうでなく響きの近い言葉として使ったのかは不明である。
いずれにせよ、“tragedy”のような悲劇ではないのは確かだ。もっと人生における多くのものを包含しているのだろう。


曲を聴けば、1楽章から暗鬱とした印象は避けられないところだ。「悲愴」というネーミングもあり、どこか病んだ音楽のように捉えがちである。実際にチャイコフスキーは人生でしばしばうつ病に罹っており、はっきりとこれが鬱と関連しているとは言えないが、チャイコフスキーにとっては、人生を描く上で必要不可欠な要素だったのだろう。
2楽章で明るくなるが、この変拍子のワルツは「楽しさや美しさの中にいつもある不安定さ」という、これもひとつの真理のように思われるのだが、そうした人生の複雑さが表現されている音楽だろう。スラブに特徴的なリズムであり、地理的にも精神的にも、かように現れてごく当然な音楽だと言える。
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のように、美しくも不気味な音楽は、どうしてこうも魅力的なのだろう。
そして、3楽章で栄華を迎える。常に支配するト長調。スケルツォ楽章だが、当時の普通の交響曲と比べて考えると、これはスケルツォとして聴こえてはこない。ここが、いわゆる情熱的という意味の“патетическая”なのだろう。僕には、この楽章は「生き急いでいる幸福」のように思われる。もし、人生哲学として、幸福を至上として生を全うすることが人間のあるべき姿だと言うならば、こうはなるはずはないのだ。ロ短調の交響曲で、華々しい部分がト長調であるということにも、少し触れておきたい。
4楽章冒頭、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが1音ずつ主旋律の音を担当するという、なかなか凝った演出から始まる。なるほどそういうものか、と頷いてしまう。
希望や祝福はないだろう。しかし、なぜか感動がある。最後に音楽は霧のように消えていく。「死」をイメージしていると考えるのが妥当だが、受け取り方は様々にあって良いのだ。人生とは、必ずしも「死」で終わるとは言えないし、「死」が何なのかもよくわからない。
自分なりの人生のイメージをもってこの曲に望めば、妙に楽観主義者でない限り、必ずこの曲は、相当の深さと重さをもって迎えてくれる。そして何かしらの答えを示してくれる。
デカダンスのような美とはまた違う。この曲の美しさは、人が人生というものを賭して描いたときにだけ見える、病めるものや健やかなるものを総て含んだ美なのだろう。