ブラームス:交響曲第1番 ブラームス:交響曲第1番
ミュンシュ(シャルル),ブラームス,パリ管弦楽団

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交響曲第1番 ハ短調 作品68


指揮者のハンス・フォン・ビューローがこの曲を「ベートーヴェンの第10交響曲」と呼んだことはよく知られているが、その際ビューローは「第10と言っても、第9の延長線上ではなく、第2とエロイカ(第3)の間に来るだろう」と語ったことまで知っている人はどれくらいいるだろうか。多くの音楽関係者諸氏の中にもおそらく知らない人は大勢いるだろうし、手放しで「第10交響曲」と賛美する風潮は、いささかやりきれない。


相変わらず、語り尽くされた名曲についてエッセイを書くのは実に骨折り仕事なのだが、ブラームスの1番について書こうと思ったのは、最近こんな言説を見かけて、なるほどなあと思ったからだ。「ブラームスの交響曲は、第1番がベートーヴェン、第2番がハイドンとシューベルト、第3番がシューマンとクララ、第4番がロマン派から脱してバッハへ戻り、それぞれの調を並べるとC-D-F-Eとなり、モーツァルトのジュピターになる」。なるほど上手いこと言うなあ、出典はどこかなあと思い、ちょっと探してみたけど見当たらなかった。もしわかる方がいたらご教示願いたい。
この言説のいいところは、散々ビッグネームを出しておいて、最後はモーツァルトに帰結するというところだ。これはモーツァルト好きの僕には実に気持ちいい。やはり音楽それすなわちモーツァルトなのだ。
まあそれは置いといて、もう一つ思ったのは、ブラームス研究の権威ウォルター・フリッシュ先生でさえニューグローヴの音楽辞典でブラームスを紹介するときに「管弦楽ではベートーヴェンの後継者」「ピアノや歌曲はシューベルト、シューマンの後継者」などと語っているし、ブラームスはいつも過去の巨人たちを引き合いに出されて、ちょっと同情しちゃうなあ、ということ。かく言う僕も今まさにそのスタイルで記事を書いているのだが……。
実際のところ、ブラームス自身も、存命中は大作曲家たちの音楽の前に尊敬と畏怖を抱いていた訳で、それが顕著に現れたのが、完成まで20年近く費やしたことで有名な交響曲第1番である。もちろん、ブラームスの前に立ち塞がるのはベートーヴェンの9つの交響曲。少し前にも「現代のベートーヴェン」とやらがインチキ交響曲で世間を賑わせたが、当時の19世紀後半のヨーロッパでも、そろそろ「現代のベートーヴェン」が出てきて欲しいという空気があった。ワーグナーも自身の楽劇をベートーヴェンの理念の継承であると自負していたし、反ワーグナーのハンスリックもまたベートーヴェンの美学を追求していたが、ブラームスに最もプレッシャーを与えた犯人は、間違いなくシューマンだ。この人のブラームスへの圧倒的な賞賛こそが世間に「現代のベートーヴェン」の登場を期待させたのであり、ベートーヴェンの精神の正統な継承者という重荷を背負わせたのである。シューマンはヨアヒムに宛てた手紙にこう書いている。「彼(ブラームス)はいつもベートーヴェンの交響曲の冒頭部分を思い起こし、似たようなものを作ろうと努めることになるだろう」さもありなん。


そういう期待を一身に背負い世に放った交響曲第1番の初演は1876年11月4日、カールスルーエでの初演後に新聞に書かれた記事は「大衆向けというより厳粛な曲なので、音楽の好事家は何度も繰り返して聴くことが求められる」といったもので、その後の演奏評もあまり良いものが見られない。「1楽章の主題の意味や明晰さが欠けている」だの、「2楽章3楽章は交響曲というより組曲やセレナーデ向きだ」だの、期待が大きい分、受容されない。確かにベートーヴェンの交響曲と比べれば、1楽章のあのただならぬ緊張感のある序奏(それがロマン派らしさでもあるが)のせいでアレグロの部分の主題の印象が薄れるかもしれないし、緩徐楽章は甘美すぎると指摘されるのも、期待しているものがベートーヴェンなら仕方ないかもしれない。
1876年12月17日、初演から約1ヶ月後の楽友協会ホールでの演奏会では、ブラームス自身が指揮したのだが、指揮台に登壇した時は拍手喝采で迎えられ、大きな月桂冠まで贈られたというのに、演奏後は拍手のかけらもなく、静かに指揮台を去っていく、というあまりにも惨めな出来事が記録に残っている。
何よりワーグナーのこの曲の評が面白い。西原稔先生の本によれば、ワーグナーは「以前に室内楽として作られたものが今度は冗談で交響曲になっている。出涸らしのお茶っ葉のような、クズの寄せ集め。こんな得体のしれないものが、ついに本物ぶったブランドで、世界の苦しみを背負ったような顔をした独りよがりの連中のために用意されている」と語ったそうだ。このくらい言うと小気味いい。しかも間違っていない。ブラームスが交響曲で描いているのは、室内楽で描くものと同じだ。つまり内省的で、個人的で、仲間と気持ちを通じ合わせるためのツールであるかのような、そんな音楽だった。ブラームスの交響曲で現れる旋律は、ワーグナーのそれのように聴衆へ訴えるドラマティックな言語ではなく、マンツーマンで語り合うような、親しい人へ贈るような、そんな言葉なのだ。
だからブラームスにとって最高の演奏は、故郷ハンブルクでの1878年の演奏会のものだった。ハンブルク・フィルをブラームスが指揮し、親友のヨアヒムがコンマスを務め、聴衆にはハンスリックや恩師マルクスセンなど、ブラームスゆかりの人物が集まり、この上なく温かな演奏会だったことが容易に想像できる。ブラームスが指揮台に上るとファンファーレが鳴り、月桂冠を贈られ、演奏後には(楽友協会のときと違って)彼の上に薔薇の花びらが降り注いだという。
ベートーヴェンの交響曲と決定的に異なり、ブラームスをロマン派に位置づける理由は、やはりこの曲が宇宙的、あるいは全人類的な音楽ではなく、一人の人間の、個の人間のための音楽だと言えるところだ。


それでも、ベートーヴェンの第10交響曲の名に恥じない名曲であることは、誰もが認めるところだ。それはなぜか?
音楽史的には、ベートーヴェンの「第九」の後を継いだのはリストやワーグナーである。ベートーヴェンが最後に生み出した、超変則の合唱つき交響曲が持つ可能性を引き継ぎ、発展させ、リストはファウスト交響曲を作ったのだし、またベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」や「ファウストの劫罰」、少し意味は違うが幻想交響曲だってそうだ。ワーグナーの言う通り、純粋な器楽はベートーヴェンで頂点を迎え、その後はドラマを構成する手段である言葉としてのみ器楽は成長することとなった。
では、ブラームスの交響曲第1番はというと、これは決して音楽史的には「革新的」なものではなく、むしろベートーヴェンの手法そのものだった。対位法的で、各旋律同士が関係を持ちながら動くことでハーモニーを生む。ハーモニーありきの色彩豊かなロマン派音楽とは一線を画する。ブラームスは、ベートーヴェンが使った音楽的手法や、ベートーヴェンより前の大作曲家の手法を(ベートーヴェンが研究して用いたのと同様に!)用いて音楽を作った。それ以上、革新も発明もブラームスには必要なかったのだ。「今あるもの」「今残されているもの」を愛し、大切に使うことが、ブラームスにとっての音楽のあり方だったと思われるし、ベートーヴェンへの愛を感じることもできよう。


だから僕は、「ベートーヴェンの後継者」という表現をブラームスにばかり当てはめるのには賛成しかねるのだ。後継者ならいくらでもいる。後継しなかった作曲家を探す方が大変だ。ブラームスは後を継ぐなんていう生易しいものではなく、真の意味でベートーヴェン的であり、つまりこの曲、交響曲第1番こそが、当時のヨーロッパで言うところの「現代のベートーヴェン」の登場だったのだ。


【参考】
Bekker, P., The Orchestra, W.W.Norton & Company, 1936.
Bozarth, G.S., & Frisch, W.,“Johannes Brahms. ” in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd Ed. Vol. 4, London: Macmillan, 2001, pp. 180−227.
Heuberger, R., Erinnerungen an Johannes Brahms, Hans Schneider, 1976.
Hinrichsen, H.J.,Hans Von Bülow’s Letters to Johannes Brahms, Scarecrow Press, 2011.
西原稔『ブラームス』(音楽之友社,2006)