Weyse: Symphonies Nos. 4 and 5 Weyse: Symphonies Nos. 4 and 5
Royal Danish Orchestra

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ヴァイゼ 交響曲第5番 変ホ長調


クリストフ・エルンスト・フリードリヒ・ヴァイゼ(1774-1842)はデンマークの作曲家で、ほぼベートーヴェンと同時代を生きた人物だ。アルトナという当時のデンマークの主要な港町で生まれ(現在はドイツ領)、15才でコペンハーゲンへ移り研鑽を積み、20才頃からコペンハーゲンのいくつかの教会でオルガニストを務め、45才で宮廷作曲家になる。晩年にはリストやウェーバーが表敬訪問するほどの、デンマークの大物作曲家として、ヨーロッパ中で名が知られていた。
ヴァイゼが活躍した時代のデンマークは「デンマーク黄金時代」と呼ばれ、文芸分野が隆盛を極めた時代であり、隣国ドイツのロマン主義に触発されて、絵画ではエッカースベルグ、文学ではアンデルセン、哲学ではキルケゴールなど、多くの天才たちが活躍した。
音楽の分野では、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも取り上げられるロンビ(このブログでも6年前の記事で紹介した)を始め、ハートマンやゲーゼなどが挙げられるが、ヴァイゼもまたデンマーク黄金時代を代表する作曲家のひとりだ。
彼はジングシュピールという、今日で言うミュージカルのようなオペラ作品を多く残している。また、歌曲も多く、基本的には“歌の人”であり、シューベルトにも似た美しい旋律がとても心地良い。
今回取り上げるのは、そんなヴァイゼの交響曲である。彼は7曲の交響曲を作曲しており、それらは全て1795年から1799年という、ごく短い間に作曲されている。18世紀の終わり頃の交響曲事情といえば、1788年にウィーンで晩年のモーツァルトが39番、40番、41番「ジュピター」を作曲しており、ハイドンが第2期ザロモン交響曲(1793年に「軍隊」や「時計」、1795年に「太鼓連打」や「ロンドン」)を作曲していた頃である。彼ら刺激を受けなかったはずはなかろう。


ではまた、なぜ交響曲第5番なのかといえば、この第5番は稿が2つあり、初稿は1796年に書かれているが、それをコペンハーゲン音楽協会(Musikforeningen)での演奏会のために1838年に第2稿として作り直しているからだ。ヴァイゼ最晩年に改訂して演奏された交響曲はこの第5番だけである。そして何より、変ホ長調の第5番といえば、僕の最愛の曲ベートーヴェンの皇帝を髣髴とさせるし、シベリウスの傑作第5交響曲も変ホ長調だ。まあ深い意味はないが、「変ホ長調の第5」からは名曲の香りがする。
改訂するにあたり、クラリネットやトロンボーンを追加するなど、オーケストレーションを拡大している。宮廷での音楽から演奏会での音楽への変化の流れそのものだ。
どの楽章も、簡素さから豪華さへ、というような変化が見られる。1楽章の付点のリズムを伴った劇的なパッセージなどは実にベートーヴェン的な響きだ。もっとも、ヴァイゼはあまりベートーヴェンの音楽を好んでいなかったという説もあるのだが。
注目したいのは第3楽章のメヌエットであり、この楽章は初稿のものをすっぱり切り捨て、第1交響曲のメヌエットに置き換えている。トリオでは特に木管の温かな音色が美しい。おそらくはヴァイゼのお気に入り楽章なのだ。そういう音楽を拾ってきてリメイクするのはさぞ楽しかったことだろう。
僕がこの曲に惹かれたのは、もちろん冒頭のドラマティックな旋律のせいもあるが、第2楽章で現れるソロ・ヴァイオリンの美しさも特筆すべきものだ。もとはオーケストラのリーダーであるヴァイオリニストに捧げられたものであるとする説もあるようだが、改訂ではソロの分量が少し減っている。演奏会では、ゲーゼの師でもあるヴァイオリニスト、フリードリヒ・ヴェクスシャルがソロを務めたと言われている。
古典派の交響曲が栄華を誇った時代に生み出され、各地でロマン派の交響曲が生まれてくる時代に再構築された、まさしく「古き良き」古典派の交響曲。


【参考】
Hafting, C.E.,“C.E.F. Weyse’s Symphonies,” Musik & Forskning, 1996, pp. 11-48.